BGN=刹那と常世を奏でる夢幻音像装置。
森羅万象ざわめき宇宙の欠伸が木霊する幻想第四次交響楽を聴け。
ヒトのコトバで漁れない始原のキオクと非在のオトに釣糸垂らして、
この世の「サイハテ」から「異界」を遥か見下ろす断崖に一人佇む。
「ハレ」と「ケ」が烈しく火花散らす桂牧入魂と脱力の音響カラクリ。
異能の音楽家・桂牧。前作『牧』からおよそ13年ぶりの新作『BGN』は快心のインストアルバムに仕上がった。前作同様本作もまた、桂牧ただひとりの多重録音。本ライナー文で桂牧自ら語っているようにここに並べられた音楽はすべてポスト「3.11」がしたたかに意識されている。2011年に東北地方を中心に東日本を襲った未曾有の大地震は人々の営みに甚大な被害をもたらし、被災者一人ひとりの心にも大きな傷痕を残していっただろう。あの日からすべてが変わってしまった、人をとりまく環境世界も、心象の風景も…。BGN(=Back Ground Noise)はわたしたちのウチソトで鳴りつづける「怒りと響き」の集合体である。本作は自然と人工が軋みながら発するノイズに身を浸しながら綴った異能の人・桂牧による同時代音楽ノートなのである。アナタの「心の店」でいつまでも鳴りやまない至高のBGNをどうぞ。 2017年作品
深夜の寝静まった街々をとぼとぼめぐって回る牛乳配 達をしていた。人の営みが一旦停止しときだけが淡々と 歩む街角。団地の一室一室に同じ向きで横たわる数え切 れない夢が流れ出し霧氷のように漂いはじめ、野良猫の 忍び足電線でコクリうたた寝る鴉コンビニのビニ袋さげ 彷徨う若者老人すべて夢の中から現れたかのようにゆら めいている。風が止むと雲はゆっくりとうねりだし草木 も建物も打ち捨てられたコーヒー缶でさえ生き生きと我 を主張し始める。夜は時の流れをせき止めるダムのよ う、「今」というほんの一瞬刹那が飴のように引き伸ば されている気がして仕方がなかった。見上げるとやがて 空からはらはらと重金属の目に見えぬ細かい粒が恐ろし い速さで点滅しながらゆっくりと舞い降りてくるのが透 けてみえる。法螺貝の遠鳴りに耳を貫くメタリックなノ イズが加わったのだ。311あのときから。
ライナー「心の店とバック・グラウンド・ノイズ 桂 牧」より抜粋
「BGN」とはなにか
桂牧さん13年振りの新作です。通常、BGMと言えばほぼイージーリスニング、日常のストレス解消とリラックス効果が主に企図されていますが、桂牧さんのBGNは日常の裏や無意識裡に潜む不安や葛藤や異和=「ノイズ」を音像に置換したもののように考えられます。9.11の世界の分断を具に認め、3.11の危機に直面したわたしたちにとって音楽とは何か。音楽はいま、何をなし得るかという鋭い問いかけにたいする一つの回答が本作なのではないかとおもうのです。音楽が未だ人間の心身を「癒し」得る「浄化装置」であるのだとしたら、不安や葛藤や相剋、あらゆる「ノイズ」を吞み込みながら構成されなければならないでしょう。そこに音楽が担う人類の「宿命」を「使命」に転換する契機があります。一人でも多くの方に本作を聴いていただければとねがっています。
神谷一義(共同制作者)
1.BGN
2.待たぬ回路
3.コムソーうらがえし
4.シャドウを歩け
5.居りて
6.ノーソン
7.いったんもめんと
8.田圃裏
9.愚連体質
10.ヒコーキヤロー
11.居ます
12.テレ目
all played musical instrument and sound produced by Katsura Maki
general produced by Kamiya Kazuyosh
mastered by Ishizaki Nobuo
album jacket (and inner sleeve) designed by Aoki Hayato
landscape photography by Katsura Maki
[試聴]
BGN Sampler :
■ 商品説明
BGN=刹那と常世を奏でる夢幻音像装置。 森羅万象ざわめき宇宙の欠伸が木霊する幻想第四次交響楽を聴け。 ヒトのコトバで漁れない始原のキオクと非在のオトに釣糸垂らして、 この世の「サイハテ」から「異界」を遥か見下ろす断崖に一人佇む。 「ハレ」と「ケ」が烈しく火花散らす桂牧入魂と脱力の音響カラクリ。
■ 商品仕様
製品名 | BGN / 桂牧 |
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型番 | DIGIT-3 |
JANコード | 4571258157052 |
メーカー | オフノート / ジギタリス |
製造年 | 2017年 |
桂牧(かつら・まき)プロフィール(自身による)
1951年三重県志摩半島にて出生。零歳で東京は文京区茗荷谷へ。
幼児期はディズニー『ファンタジア』に東映歌謡時代劇。ラジオ・デイズは三木トリロー、楠木トシ江。
小学校から大田区、矢口渡そして洗足池。近所にエノケン、服部良一。(関係はないのだが)
小三の頃ようやく家にテレビが。そして家の片隅に追いやられたラジオのチューナーを悪戯するうちFENの音楽番組と出会う。9500万人(!)のポピュラーS盤リクエストアワー。エリントン、ラテン・ムード、ナット・キング・コールにプラターズ。テレビはクレージー・キャッツでモダン・ジャズ(?)。
一家は横浜移住。
中一にベンチャーズ、British Invasionそしてビートルズ・シンドローム。 翌年ビートルズ来日。スクール・メート(要するに同級生)二人とともにようやくギターを手にとり「イェー、イェー」とやり始めたところに、いきなりジョン・レノンの『明日の知る由もなく』が。
受験勉強も忘れビルボードのチャートを眺めながらFENの深夜番組にのめり込む。横浜YAMAHAに輸入盤コーナー。サイケデリックとR&Bで発熱。
高校入学。ミキシング機能付きのオープンリール・テープレコーダーを手に入れる。多重録音事始め。(依然発熱中)
発熱のまま70年代。ジャズ喫茶にブラックホウク。
1975年、当時日本で3組しか(知ら)なかったジャグバンドの一つ、横浜のアンクルムーニー(他は京都の田舎芝居、豊橋のジャムポット)に加入。(スライド)ギター、マンドリン、コーラス担当。マネージメントの関係でティンパンアレー・ファミリーの末席を汚し、平行して関東各地の米軍キャンプ、六本木アメリカン・クラブなどで演奏活動。久保田麻琴のプロデュースにより各社でデモテープを制作するもオイルショックでメジャーデビュー消滅(ホンマか)。加えて基地縮小でキャンプでの演奏活動もままならず1977年解散。アメリカの呪縛からの解放。入れ替わりにパンク、ニュー・ウェーブ。
武蔵野に移住し友部正人のバンド、遠藤ミチロウとのバンドの立ち上げに一瞬参加など経て1980年、京都滞在中飲み屋で偶然再会したタイガージェット山本シン、そして川下直弘(フェダイン)と招き猫ユニットを結成。全国を(居候)ツアーして回る。同時期にオクノ修のカセットアルバム『BEAT MINTS SLOW MINTS(オクノ修 Vol. 3)』の東京でのレコーディングにギターで参加。
1981年、招き猫ユニット福岡で解散。手にしたギャラで東京まで帰り着けずそのまま京都に居を移す。田中研二、古藤只光など関西のフォーク・シンガーの伴奏など手伝いつつ京都のブルース、フォークの老舗喫茶「むい」の店員となり、ハウス・バンドであったむいジャグバンドに参加。むいジャグバンドはジャングルバンドと名を変えるが「むい」の閉店などもあり消滅。
1985年、京大西部講堂を拠点とする劇団「ZIGI」に音楽監督として参加。1987年、たまたま8トラックの機材が手に入ったことから芝居の音楽をまとめたLPレコード「ジギタリス」制作。以後自宅録音が本格化する。
1990年代は自身あるいは知り合いのバンドなどのカセット作品の録音、制作を手がける他、自分のバンド、オシツオサレツ、ジギタリスそしてオクノ修のビートミンツなどバンド三昧。
1998年、実家の事情により横浜に戻る。パソコンを導入し自宅録音もグレードアップ。2002年、サボテンの久々のアルバム『つづく夢』のサウンド・ディレクションを担当。
2004年、1996年頃から自宅で録り溜めしていた自身初のソロアルバム『牧』完成。10月10日オフノート・レーベルの全面協力により立ち上がった個人レーベル、ジギタリスレコードから発売となる。
そして
『牧』から13年…。2017年『BGN』リリース。
MEMO BGN 2018
リニアな時間の流れのなかではついに点でしかない「現在」と内なる表現衝動がどこかでショートしているのか、ましてや宣伝力の微弱なインディーズであればなおさら。刻一刻と変転する心象の風景をリアルにつたえる本作の存在がより多くの人々につたわらない現状はただただ歯痒く悔しい。BGN(=Back Ground Noise)こそ、現在を生きるわたしたちに最も必要な「音像」だというのに。世界を浸し、巷に充ち満ちているノイズ=「異和」「軋轢」「葛藤」と向き合い鋭く対峙する困難な作業。日常における間断なき「思考」と「試行」によって「異物」を煮沸し濾過して表現にまで高めた桂牧の土俵際の粘り腰はもっと評価されていい。「BGN=刹那と常世を奏でる夢幻音像装置」という本作の惹句をそのまま採用していただくとして、ならばこの「受像装置」を「発信装置」にヴァージョンアップしネットすることこそがわたしたちの次なる課題なのかもしれぬ。応答せよ、世界市民…。(2018.1.19)