「SP音源で綴る 二〇世紀之大衆藝能」シリーズ 4
ニッポンジャズ水滸伝 地之巻/V.A.
ジャズ。いま、この陋巷の淫楽を聴け。
時刻は大正期。大阪の巷にジャズの歌声は沸き起こる。
道頓堀の川面に映る赤い灯、青い灯に照らされながら、
河合ダンス團・赤玉ジャズバンド・松竹和洋合奏團…、
ジャズは旅する。やがて東京、巴里ムーランルーヂュ。
時代を跋扈したジャズエイジ達の跫音が鮮やかに甦る。
全102曲 豪華120頁ブックレット付 監修:瀬川昌久
『ニッポンジャズ水滸伝 天之巻』に続くシリーズ第二弾。前作では1920年代、舶来音楽・ジャズが日本にもたらされた時の「天啓」とでもいうべき衝撃はいかほどのものだったか? その頃、急速に醸成されつつあったこの国の「大衆音楽」 引いては「大衆文化」に与えた多大なインパクトがどのようなものだったか?? さらに新興芸術・ジャズが旧来の邦楽といかに折り合いながら普遍性を獲得していったか???
謂えば初期ジャズ受容の態様を当時のSP音源の中に探り具に検証した。しかもメジャーカンパニーの音源に一切頼らず、ひたすら、当時のインディーズレーベルの音源のみを集めて四枚組CDアルバムに構成した。付言すればインディーズレーベルの音源に拘ったのは、そこに「自分たちの音楽」を創り出さずにはいられないやむにやまれぬ情熱となにものにもとららわれない「自主独立」の気概を認めたからにほかならない。やがて「戦争」へと至る束の間の自由を爽やかに駆け抜けた青春群像、ジャズエイジたちがこの国にもいたことを記録しておくことはいま、私たちがなさねばならない作業ではないかと考えたのである。日々「歴史認識」が曖昧になり、醜く歪められつつある今ほど「歴史に学ぶこと」を鋭く要請されている時はないだろう。
前作から一年あまり……。ようやく時機を得て本作「地之巻」をリリースする運びとなった。本作では前作での視点をさらに押し広げ、ジャズが陋巷にいかに突き刺さり満ち溢れていったかをルポルタージュした。今回は特に東京に先駆けてジャズが花開いた「大大阪」、大阪千日前・道頓堀界隈に起点を求めて「大衆音楽=ジャズ」の進化と深化の過程を探った。さらに「旅する音楽=ジャズ」が名古屋を経由して東京へと到る長い道のりを「音楽」をして語らしめようと務めた。音源の中にきっと、「モダーン」な巷を謳歌した青春群像「ジャズエイジ」たちの息吹と跫音がはっきりと聴こえてくるはずである。
道頓堀、千日前界隈を彩る赤い灯青い灯、半玉芸者の乙女達が踊り奏でる河合ダンス、松竹座ジャズバンド、カフェ専属、赤玉ジャズバンド、フィリピン楽士にとるカールトンジャズバンド、東京にジャズを運んだユニオン。チェリーランドダンスオーケストラ。圧巻は服部良一最初期の仕事「夜半の警鐘」。さらに名古屋に移って有名か・無名か正体不明のセンターダンスオーケストラ。巴里から社交界にやって来て華麗な調べを奏でる巴里ムーランルージュ…。本作の聴きどころを挙げればキリがない。ディスク4枚に展開し転回する「陋巷の淫楽」を心ゆくまで存分におたのしみいただきたい。監修:瀬川昌久 2013年作品
地之巻 構成の趣旨について
ニッポンジャズ水滸伝の第2集「地之巻」は、1)千日前風景 2)道頓堀ジャズの誕生 3)ジャズ的 4)巴里ムーランルージュの4主題で構成した。中心的構想は、ジャズという西欧的大衆音楽が始めて日本に輸入されて発展したのは、あっこ大正年代の関西、特に大阪の千日前~道頓堀地区である、という史実に基づきその具体的な事象を多様な音楽形体で実証しようというものである。大正10年代に、ダンス音楽を通じてダンスを踊るカフェやダンスホールが林立し、宝塚や松竹のレビューが勃興して、ジャズを歌いダンスを踊る風潮が新らしい社会現象となった。そのモダン文化は和風の伝統だった芸妓の世界にまで浸透し、お座敷でも芸妓は、ジャズを歌い、ダンスを客と踊るようになる。その結果、幼い芸妓が大衆音楽を演奏し、洋風に踊る「河合ダンス団」が誕生し、その芸は大人も顔負けする程に上達した。10才代の少女がプロのジャズマンの指導により、シロホンやサックスを演奏するレコードがとぶように売れて、河合ダンス団は、毎年上京して東京の帝国劇場で一週間の公演を打つ程になった。今回のアルバムは河合ダンス団の貴重なレコード演奏10曲から始めて、従来書物でのみ紹介されたダンス団の輝かしい足跡を、音楽を通じて確認して頂くことにした。幸い河合ダンス団について、該博な研究家である芝田江梨氏の詳細な論文と貴重な写真を頂戴出来たことを深謝したい。
この時期は、他にも多くの乙女ダンス団が出現し、又芸者がダンサーとなる例もあった。チンドン屋音楽にもモダンなサウンドが採用され、漫才役者もジャズをネタにする。その間道頓堀松竹座が大正12年から大阪松竹少女歌劇の定期的レビュー公演を実施し、オペレッタやバレエ、ヴォードビルの公演を続け、大正15年には早くも「ジャズダンス」のタイトルで公演し、「春のおどり」にジャズソングを発表した。更に昭和3年1月20日から、岡田嘉子・竹内良一一座を専属劇団第1号に据え、音楽劇「道頓堀行進曲」を上演したところ、日比繁治朗詞、塩尻精八曲の主題歌「道頓堀行進曲」が大ヒットとなって、早速ニットーレコードが同年3月筑波久子(本名井上起久子)の唄で発売した。この曲はジャズ風な演奏に適していたので、忽ちあらゆるレコード会社が歌詞を替えたりして吹込み、数拾種類以上のダンス音楽やボーカルが発売された。直ぐに映画化もされ、映画説明レコードも出た。その温床となった大阪松竹座は引き続きレヴューやショウの上演のため、専属の管絃楽団やジャズバンドに一流奏者を集めて多数のレコードを発売して道頓堀ジャズの中心的存在となった。
アルバム第2集には、松竹座管絃楽団とジャズバンドのレコードを13曲集め、斯道の権威である橋爪節也氏と古川武志氏御両士にうんちくを傾けて頂いた。古川氏には全4集に亘る音源レコードを御提供頂いたことも併せ厚く感謝したい。
特に貴重な音源として注目してほしいのはDISC-2の末尾26、27収録の2曲で、ジャズソング大作曲家服部良一がイヅモヤ(出雲屋)音楽隊に入隊の少年時代中と、上京してニットーレコード専属作曲家となった昭和10年に録音した何れも極めて斬新意欲的な管絃楽曲である。 26「夜半の警鐘」(ヒコーキH7194)は「イヅモヤ音楽隊」演奏とあるだけだが恐らく服部少年が参加していると思われる。服部良一は明治40年10月1日大阪に生まれ、大正12年9月出雲屋少年隊に入隊して始めオーボエ奏者で、やがてサキソホン奏者となりサックスのグループのリーダーになった。14年5月大阪プリンセス・バンドと改称後もしばらく在団した。
このバンドは130名近くのブラスバンド編成だが、特にサキソホンが多く、サックス10本(ソプラノ3本、テナー3本、アルト2本、バリトンとバス・サックス各1本)を生かしたサウンドが特色だった。服部は橘宋一楽長の下、我流で「かっぽれ」「安来節」などを編曲し、自作のフォックス・トロット「よいどれ」を作曲した。外国ものは当時流行した「ダンス・オリエンタル」「キャラバン」「バンプ」「チャング」「ケーキウォーク」「オーバーゼア」「ダブリンベイ」などサロン音楽をトロット・リズムで演奏する曲が多かった。
第3集は、道頓堀ジャズから始まったジャズの全国的展開の足跡をたどることにして、昭和年代に名古屋のセンターレコードが製作した欧米のジャズ・ラテン・タンゴのヒット曲を始め、各マイナー・レーベルの意欲的なジャズ的演奏を収録した。加えて、ニットー・レコードが昭和2年に特殊開発した長時間SPレコードの中に、唯1枚ダンスミュージックとして録音されたユニオン・チェリーランド・ダンス・オーケストラの演奏を全5曲収録した。この長時間レコードは当時アダプターが必要のため、数年にして発売が停止された貴重な音源であり、回転速度の変化するSP原盤を調整リマスターの労をとられた大西秀紀氏の御厚意に深謝したい。
第4集は兼ねて再録要望の強かった昭和7-8年駐在した巴里ムーラン・ルージュ・タンゴ・バンドの演奏を特集して全22曲を収録した。東京溜池のフロリダ・ダンスホールがフランスから招へいした4人のバンドで、当時レコード各社に和洋の流行歌を多数吹き込んでおり、バラエティに富んだ選曲によって、昭和中期のダンスホールの音楽を偲ぶ好材料になるよう構成した。アルバムの最後に当るので、くつろいできいて頂ければ幸いである。 (瀬川昌久/ライナーより)
豪華ブックレット内容:
・ニッポンジャズ水滸伝第2集「地之巻」構成の趣旨について(瀬川昌久)
・河合ダンスについて(芝田江梨)
・「道頓堀ジャズ」考「大大阪」時代の大阪(古川武志)
・踊る大道頓堀─DOUTONBORI─“道頓堀ジャズ” 街のヴィジュアルを追体験する(橋爪節也)
・フロリダと戦前のダンスホール、大阪松竹座について(吉河悟史)
・ニッポンジャズ水滸伝“地之巻”を聴いて(関島岳郎)
・座談会(西岡信雄、橋爪節也、林幸治郎、古川武志)
・鼎談(瀬川昌久、北中正和、大谷熊生)
・歌詞テキスト(北林研二:聴取作成)
監修:瀬川昌久
[試聴]
"地之巻"ダイジェスト版
■ 商品説明
ジャズ。いま、この陋巷の淫楽を聴け。「ジャズ水滸伝」3部作第2弾。時刻は大正期。大阪の巷にジャズの歌声は沸き起こる。道頓堀の川面に映る赤い灯、青い灯に照らされながら、河合ダンス團・赤玉ジャズバンド・松竹和洋合奏團…、ジャズは旅する。やがて東京、巴里ムーランルーヂュ。時代を跋扈したジャズエイジ達の跫音が鮮やかに甦る。全102曲 豪華120頁ブックレット付 監修:瀬川昌久
■ 商品仕様
製品名 | ニッポンジャズ水滸伝 地之巻 / V.A. |
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型番 | OK-4 |
JANコード | 4571258151043 |
メーカー | オフノート / 華宙舎 |
製造年 | 2013年 |
【収録曲/演者】
DISC-1 千日前風景 SKETCHES OF SENNICHIMAE
1.キヤラバン/河合ダンス団 菊彌
2.セーラダンス/河合ダンス団 菊彌
3.勧進帳/河合ダンス団 菊彌
4.ケーキウォーク/河合ダンス団 かづ代
5.カルメン抜粋曲/河合ダンス団 かづ代
6.野崎村/河合ダンス団 せき子
7.ホームスヰート、ホーム/河合ダンス団 せき子
8.オリエンタル・パトロール/河合ダンス団 せき子
9.キングカールマーチ=/河合ダンス団 文子
10.スワニーリバー・スタカットポルカ/河合ダンス団 君子
11.ハッピイデイス/松竹楽劇部女生
12.春の口笛/松竹楽劇部女生
13.道頓堀シャンソン/笹本幸夫
14.マダム浪花/渡邊光子
15.ハレルヤ/美山華子 美人座ジャズバンド
16 新オイトコ節/大阪 大市乙女ダンス
17.椰子の木は繁る/ダンサー芸者 香代三
18.チンドンヤ(上)/松竹和洋合奏團
19.チンドンヤ(下)/松竹和洋合奏團
20.道頓堀行進曲(一)/木田牧童 若山千代 瀧すみ子 河原涼子
21.道頓堀行進曲(二)/木田牧童 若山千代 瀧すみ子 河原涼子
22.道頓堀行進曲(三)/木田牧童 若山千代 瀧すみ子 河原涼子
23.道頓堀行進曲(四)/木田牧童 若山千代 瀧すみ子 河原涼子
24.カツロー冩真/砂川捨丸・中村春代
25.千日前行進曲/花園綾子
DISC-2 道頓堀ジャズの誕生 BIRTH OF TONBORY JAZZ
1.道頓堀行進曲/澤文子
2.キヤラバン/澤文子
3.道ブラ行進曲/小島鈴子 松竹座ジャズバンド
4.蒲田行進曲/小島鈴子 松竹座ジャズバンド
5.懐しのトロツト/松竹座管絃団
6.我が巴里(モンパリ) /松竹座管絃楽團
7.春の唄/井上起久子 松竹ジャズバンド
8.ムーランルーヂユ/井上起久子 松竹座ジャズバンド
9.印度の唄/松竹ジャズバンド
10.ダブリン湾/松竹座管絃団
11.誰?教へて!/松竹座管絃団
12.續ジャズ玉手箱(上)/ 松竹座ジャズバンド
13.續ジャズ玉手箱(下)/松竹座ジャズバンド
14.懐しの道頓堀/川路美子
15.南地小唄/花園綾子 キリンジャズバンド
16.佐渡おけさ/濱口淳
17.串もと節/濱口淳
18.VALENCIA/カルトンジャズバンド
19.TITINA/カルトンジャズバンド
20.大阪小唄/柳原健
21.あまり泣かせないで下さいね/柳原健
22.オリエンタル/黒田進 キリンジャズバンド
23.キヤラバン/黒田進 キリンジャズバンド
24.シヤウボート/太平ジャズバンド
25.あたり千金/太平ジャズバンド
26.夜半の警鐘/イヅモヤ音樂隊
27.意想曲 1936年/日本クリスタル交響樂團 服部良一指揮
DISC-3 ジャズ的 JAZZ DIASPORA
1.Smiling Irish Eyes(アイルランドの娘) /Center Dance Orchestra
2.In The Shade of The Old Apple Trees(林檎の樹の下で)/Center Dance Orchestra
3.Put on Your Gray Bonnet/Center Dance Orchestra
4.Don Jose(ドン・ホセ) /Center Dance Orchestra
5.Nachte in Monte Carlo(モンテカルロの一夜)/Center Dance Orchestra
6.Juege Limpio(悲しみの後に)/Center Dance Orchestra
7.NINA ROSA(ニーナローザ)/Cherryland Tango Band
8.I Kiss Your Hand, Madam(奥様お手をどうぞ) /Cherryland Tango Band
9.夕やけ/玉崎ジャズバンド
10.靴が鳴る/玉崎ジャズバンド
11.アロハ・オエ/コミツクメール コールブルー管絃楽団
12.たそがれ/コミツクメー コールブルー管絃楽団
13.懐かしのギター/Ketty Oka
14.ほゝ笑みて(When You're Smiling) /Mac Tani
15.君戀し/カフエータイガー よう子 すみ子
16.銀座行進曲/カフエータイガー よう子 すみ子
17.浅草行進曲 石田一松
18.思い出/パルロフォンジャズバンド
19.蝶々さん/チャップスパルロフォニアンズ
20.印度の唄/チャップスパルロフォニアンズ
21.The One Looking For/ユニオンチェリーランドダンスオーケストラ
22.In A Little Garden/ユニオンチェリーランドダンスオーケストラ
23.Lucky Day/ユニオンチェリーランドダンスオーケストラ
24.Breezin' Along With The Breeze/ユニオンチェリーランドダンスオーケストラ
25.Who/ユニオンチェリーランドダンスオーケストラ
DISC-4 巴里ムーランルージュ TOKYO-PARIS
1.Souvenir de Paris(1) /巴里ムーランルージュ
2.Souvenir de Paris(2)/巴里ムーランルージュ
3.Espna Cani(素敵な相棒)/巴里ムーランルージュ
4.Mamaine(やあ、ママちゃん)/巴里ムーランルージュ
5.モンパパ/巴里ムーランルージュ
6.キヤラバン/巴里ムーランルージュ
7.ロマンス/巴里ムーランルージュ
8.幌馬車の唄/巴里ムーランルージュ
9.オールドフオークスアツトホーム/巴里ムーランルージュ
10 庭の千草/巴里ムーランルージュ
11.夕空晴れて/大川静夫 巴里ムーランルージュ
12.故郷の廃家/川路美子 巴里ムーランルージュ
13.アリラン/巴里ムーランルージュ
14.銀座の柳/巴里ムーランルージュ
15.安来節/巴里ムーランルージュ
16.佐渡おけさ/巴里ムーランルージュ
17.濱千鳥/川路美子 巴里ムーランルージュ
18.叱られて/川路美子 巴里ムーランルージュ
19.宵待草/川路美子 巴里ムーランルージュ
20.遥かな想ひ/渡邊光子 巴里ムーランルージュ
21.霧の波止場/渡邊光子 巴里ムーランルージュ
22.マドロスの唄/巴里ムーランルージュ
23.マドロスの唄(掻拂ひの一夜)/三澤孝 三澤進
24.パリの屋根の下/ 三澤孝 三澤進
25.モンパリ/フェニックスタンゴオーケストラ
MEMO ニッポンジャズ水滸伝 2018
本シリーズ(瀬川昌久監修)はこの国における舶来音楽・ジャズの初期受容に照明を当てて編んだ大衆音楽アンソロジーです。2011年から作業を開始し「三部作」を完結するまでにおよそ5年の歳月を要しました。本年2月、わたしはこのように綴りました。
本作はSPレコードに記録された戦前ジャズの覆刻です。わたしにとって、新しい音楽を制作することと過去の埋もれた音源を「覆刻」することは等価です。この二つの作業が車の両輪のようになって同時代音楽は牽引されていくとおもっています。SPレコードは単なる「懐古趣味」や「骨董蒐集」の対象ではなく、わたしたちが「現在」という時間をより深く読み解くための第一資料と解すべきでしょう。そう、「温故」はかならず「知新」に到らねばならない、そう固く信じて疑いません。いまからおよそ80年前、群雄割拠したマイナーレーベル梁山泊に集結した英雄好漢・有名無名のジャズエイジたちの物語はきっと、わたしたちの進むべき方向を掌を指すように示唆してくれるはずです。 2018.2.5
そしてさらに遡って、2012年5月に綴った拙文です。
天の刻。つくりかえよ、とジャズは言った。
この春、オフノート/華宙舎より久方ぶりの新譜を刊行する運びとなった。
ここで強調するまでもなく、昨今の音楽不況はさらに熾烈を極め、右を観れば廃業、左を向けば休業とインディーズ稼業も青息吐息のありさま。わがオフノートもひとり安穏で過ごせるはずもなく、ここしばらくは制作現場からも遠離り、思うように新譜をつくれぬ苦しみに昼夜呻吟するのみ。久しぶりに新譜が出ると言ってもちろん、慢性的赤字経営が解消したわけではさらさらなく、今にも落下しそうな低空飛行に気を弛める暇もない。だが「オレだけではない、誰にとってもいまは生きにくい時代なのだ」と自らに言い聞かせ励ましながら毎日をひらすら懸命に生きている次第。だからこそ、筆舌に尽くせぬ困窮の最中にあって久々の新譜を世に問うことができる喜びは大きい。しかも、満足のいく自信作ができたことが喜びをさらに相乗させるのか、この下ルンペンの暮らしぶりにもかかわらず、ほんの束の間、爽快な気分を満喫しているのだが…。
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」1927年
なぜいま、『ニッポンジャズ水滸伝』なのか? ぼくたちが1920年代から40年代にかけての初期邦人ジャズを4枚組3巻のアンソロジーとして纏めるに到った動機を物語れば多岐に亘る。だが目的は明瞭にただひとつ。大正デモクラシーのただなか、ダンスホールやカフェを拠点に澎湃として湧き起こったニッポンジャズ創生期から太平洋戦争の激化に伴い、「敵性音楽」としてジャズが一旦中断されるまでの約20年あまり。この国におけるジャズ興亡史、その揺籃の瞬間から青春時代を丹念に記録することでもうひとつの近現代史はみえてくる。戦争・震災・経済不況・また戦争…と歩んだこの国の近現代史の谷間をひたすら健気に生き抜いた庶民の哀歓、有名・無名の大衆芸術家たちの心意気をこのアルバムに閉じこめよう。
さらに言えば、メジャーレーベルの音源を一切使わず、マイナーレーベルの音源ばかりを頼ってアルバムを構成しようとする暴挙にも相応の理由はある。ではなぜ、マイナー篇なのか?? この国のベルエポックを謳歌するかのように群雄割拠した無数の大衆音楽梁山泊を舞台に繰り広げられるジャズエイジ、市井の好漢たちのものがたり。そこにはついにこの国の大衆音楽史にはあらわれなかった生き活きとしたジャズの青春群像があり、いまから遡ること、およそ90年から70年前。その時点でおこなわれた試行と錯誤の連続こそ、今日の滔々たる大衆音楽の流れ、その底流を形成しているのではないか、そう考えたからにほかならない。
この国の戦後大衆音楽が洋楽一辺倒で突き進み、自らの歌声を喪って久しいこの地平にもういちど、夢魔の彼方から先人たちが奏でていた甘く淫らな自由な呂律を喚び戻すのだ。あまりに重苦しい重力の法則から「音楽」を解放すること。盲目な衝動から動く「世界」を美しい構成へと変えるために。そうだ、いつでも危機は契機。誰にとっても生きることが困難ないまだからこそ、この国の光と闇を一散に駆け抜けたジャズエイジたちのものがたりを描ききらなければならない。ゆえに「ニッポンジャズ水滸伝」。ぼくたちはきっと、瀕死且つ最高の大衆音楽アンソロジーを編むことができるだろう。
第一弾たる本編『天之巻』ではタイトル通り、「ジャズ」という舶来音楽がこの国の大衆文化とその担い手たちに与えた「天啓」とも言える絶大なインパクトがどのようなものだったかをつたえようと心懸けた。
DISC-1と2にはジャズソングとインスト音楽の名演・迷演を選りすぐり、それぞれ収めた。歌唱と器楽演奏を通して聴くことでニッポンジャズの原基がくっきりと浮かび上がるだろう。DISC-3では陋巷から生まれたプリミティブな「書生節」とその対極にあるモダンな舶来「ダイナ」の対置の中から、この国の大衆文化、モダンニッポンのパースペクティブを抽出することを試みた。さらにDISC-4では邦楽とジャズが合体した元祖フュージョンミュージックを収録。まさにファーストコンタクト、異文化間の出遇いの記録。異種交配のサンプルを示すことで、この国におけるジャズの受容がどにようになされ、ひいてはこの国の大衆文化がいかに醸成されていったかを具に考察した。
本編を聴いてくれたキミはどのように感じただろうか。ともあれ、ぼくたちはアルバム全体を通してかつての先人たちの営みに想いを馳せ、この国の大衆文化、百花繚乱の青春の一端なりとも活写し得たとおもう。本編をぼくと等しく困難な時代に「インデペンデント」を志し、いまこの瞬間も悪戦苦闘をつづける同志たちと現在と未来に出遇うだろう音楽を愛するすべての友人たちに捧げたい。
最後に予告である。本アンソロジーはさらにつづく。次回「地之巻」ではジャズが育まれた市井陋巷にさらに奥深く岐け入る。ダンスホール、カフェ、劇場…、雑多な人々が渦巻く混沌の中から「自由」を前触れる鼓動はどのように高鳴っていったのか、をルポルタージュしよう。そのあとに待っている「人之巻」では、この国のジャズエイジを彩った有名・無名の好漢たちの銘々伝を繋ぐことでさらに“大きな時間”を描き出せたら、とおもう。そして、ぼくたちのものがたりは「ジャズ水滸伝」から「ポピュラー三国志」へと継走してさらに先へ急ぐだろう。過去と未来を繋ぐ音楽をさがす旅路は一向に終わりそうにない…。
2012.5.(TRUSH UP 転載)
「天の時は 地の利に如かず。 地の利は人の和に如かず。」
この言葉は天・地・人の三拍子が揃わなければ物事の成就は為し得ないことをおしえてくれていますが、さらに音楽が起こり・広まり・定着してゆく「与件」をもつたえてくれているようにおもえてなりません。この不変の真理に従えば、わたしたちにできることはまだまだありそうです。「音楽の与件」を踏まえて「予見の音楽」に突き抜けること。そのひとつの道標として本作をお手元に置いてお聴きいただければ制作関係者の一人としてこれ以上の喜びはありません。先に逝った友が残してくれた言葉、「まだ避けられる未来を見つめる目を鋭くし得るものは回想である」と。与えられた猶予をただひたすら過程に奮迅して斃れて熄めばそれでよし。せめてその間は出たとこ勝負のアドリビトゥム「ジャズ的」にいきたいと希っています。本アンソロジーに登場するジャズエイジ、市井の好漢たちのように。
2018.8.29 神谷一義(華宙舎同人)