日本ジャズ界を代表する手練のドラマー小山彰太。ドラムソロだけを収録した待望のアルバムがついに完成。円熟期を迎えたことを伺わせる深い息遣いと柔らかい鼓動。1996年に突然逝った盟友・板谷博と先逝く親しい友たちの霊に捧げた、言葉では尽くせない音楽のオマージュ。ドラムの一音一音に込められた内省の軌跡と表現に向かうパトスがせめぎ合いながら昇華されてゆく生命の鼓動は聴く者の心を強く烈しく揺り動かす。無言の裡に物語られる魂のドラマ。“歌うドラマー”小山彰太、音の裏も表も知りつくした者にしかあらわせない入魂の力作。1998年作品
1.春夏秋冬 See You Again! 32:15
2.夢 's Wonderful Mama 13:17
3静夜 Requiem 4:28
小山彰太 Drums Solo
[試聴]
2.夢 's Wonderful Mama
■ 商品説明
小山彰太、ドラムソロのみを収録した待望のアルバム。円熟期を迎えたことを伺わせる深い息遣いと柔らかい鼓動。ドラムの一音一音に込められた内省の軌跡と表現に向かうパトスがせめぎ合いながら昇華されてゆく生命の鼓動は聴く者の心を強く烈しく揺り動かす。無言の裡に物語られる魂のドラマ。“歌うドラマー”小山彰太、音の裏も表も知りつ<くした者にしかあらわせない入魂の力作。
■ 商品仕様
製品名 | 無言歌 春夏秋冬 / 小山彰太 |
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型番 | on-26 |
JANコード | 4571258150268 |
メーカー | オフノート |
製造年 | 1998年 |
MEMO 無言歌 2018
1998年にリリースされた名手・l小山彰太のソロアルバム。全編に亘り徹頭徹尾、ドラムソロのみで構成されている。本作についての感想は未だ上記に掲げた惹句の通りでさらに多くの言葉をもたない。タイトル通りの「無言」を貫くが賢明ともおもうが、人間は生きてあるかぎり愚行をくり返す。それが生の証なら、すこしだけ言葉を重ねて「恥の上塗り」をしてもいい。
かつて、ジャズ評論家・平岡正明はジャズの組織論を明解にこう語っていただろう。ジャズは1・2・3が基本であって、ソロなら「おれはこういうものだよ」という名乗りであり宣言であればいい、デュオは奏者双方の「対話」であり、トリオとなると音の攻防「格闘」となる。それ以上の演奏形態はジャム、すべてセッションになるのだと。
小山彰太の長いキャリアを振り返るとき、まず筆頭に挙げられるのが山下洋輔トリオへの参加だろう。剛腕・森山猛男の後釜としてドラムの椅子に座った小山は、70年代中盤から80年代をひたすら白熱した音の攻防を密度を上げながら繰り返し繰り返したのである。そう、まるで平岡「ジャズ組織論」を闇雲に実践証明するかのように。
トリオ退団後、小山を絶えず襲ったのは深い内省だったのではないかとおもう。その痕跡は自身のリーダー作にくっきりと刻印されているだろう。竹内直・是安則克(故人)との「一期一会トリオ」(1996年)、本作「無言歌」(1998年)、デュオ演奏ばかりを集めた「音三昧」(2000年)と順繰りに聴いていけば、小山彰太の思索の内実が掌を指すように明瞭になるにちがいない。小山はこのリーダー三作を通して愚直なまでに平岡「1・2・3」理論を飽かずに実践してみせるが、音楽の水嵩はさらに増し、同時にそれをも呑み込む貯水ダムのように悠然とした佇まいを見事に獲得した。やはり、基本に徹する者は強い。
さて、そろそろ話を本作に戻そうか。本作は盟友・板谷博をはじめとする先逝く同時代の友らを送る鎮魂歌である。演奏形態は小山のドラムソロにちがいないが、その内実は旅立つ友たちとの「語らい」であり「葛藤」(格闘)であり、そしてなによりも生死の境を乗り越えて交感するジャムセッションなのである。同時代のレクイエムはやはりジャズこそ相応しい。
[付記]
思い出した、『無言歌』のこぼれ話ひとつ。小山彰太さんがドラムソロをはじめるきっかけの一つが原田依幸さんの言葉ではなかったか、と。当時、彰太さんは原田依幸ユニットの一員だったがライブが終わるたび、原田さんはメンバーと酒を酌み交わしながらよくこう言ったものだ。「一人でできないヤツはウチのバンドにはいらねえ。できるだけソロライブをやれ」。むろん、探れば他の動機も種々あろうけれども、実際にその場にいてこの一言が小山彰太に与えた影響は頗る大きかったのではないかと愚考する。当の原田ユニットはと言えば基本カルテットなのだが、ライブの際はメンバーの誰かが体調不良やスケジュールが重なって欠けようとお構いなしにトリオでも、ときにはデュオでも演奏されていったのだから可笑しい。そこには、所詮人間は一人なのだという原田の自戒のような決意のようなものが込められているように思うのである。そうさ、人間生まれるときも一人なら死ぬときも一人よ。
とまれ、彰太さんはその頃から積極的にソロライブをおこなうようになった。そんな一つに録音を頼まれて小さなDATレコーダー一台持って馳せ参じたときのことだ(結局、わたしの録音は採用されることはなかったけれとも)。場所はいまはなくなった市川りぶる、客は数人程度だったことはよく憶えている。休憩を挟み前後80分程度の入魂のソロパフォーマンスを終えた彰太さんはわたしに近寄ってこう言ったことだった。「ソロってのは難しいね。たった一つでも誰かの音があると次のきっかけになるんだけど、それがないとどうにもならない」。わたしはおもった。ほんとうだろうか。シャイな彰太さんの照れ隠しではないのか。彰太さんは演奏を通じて、先に逝った武田和命さんや板谷博さんらの魂魄とあそび、お世話になった新所沢スワン初代ママ・岡田知子さんの霊と語らっていたにちがいないのだ。誰かの声や音を聴いていなければたった一人であんな長丁場の演奏に耐え得るはずがないし、なによりも変幻自在な音の流れを持続できようはずがないではないか。そう、人間生まれるときも一人なら死ぬときも一人、だが、生きて在る間はせめて束の間の魂の連帯を、心弱くもそうおもうのである。
あの夜のライブから数年経って市川りぶる主人・須田美和さんもまた帰らぬ人となった。あの夜、須田さんはどんな気持ちで小山彰太さんのドラムソロを聴いていたのだろうか…。 2018.8.16