心躍る、南島の歌声。ネーネーズ、沖縄よりデビュー!
沖縄音楽をベースに世界中の音楽をミックス。4人のコザ美童たちの涼やかな声の向こうに、オキナワ~ジインドネシア~ジャマイカ、カリブの島影がよぎる。記念すべきディスク・アカバナー〈ポップアカバナー〉シリーズ第一弾。 90年代に巻き起こった「オキナワポップ」ブームの呼び水となった、ネーネーズ、ファーストにしてベストの呼び声の高い不朽の名盤。ここからすべてがはじまった。その後、リマスタリングを施し、最新技術によってアナログ・テイストで クリアなアコースティック・サウンドによみがえった。知名定男プロデュース 1991年作品
1. 月ぬ美しゃ
2. 七月エイサー<入羽>
3. ヨーアフィ小
4. テーゲー
5. ナミカジ
6. IKAWU
7. ジントーヨーワルツ
8. タボラレ
9. 永良部シュンサミ~永良部百合の花
10. 七月エイサー<出羽>
ネーネーズ:古謝美佐子 吉田康子 宮里奈美子 比屋根幸乃
サウンドプロデュース:佐原一哉
プロデュース:知名定男
歌詞・解説付
[試聴]
7. ジントーヨーワルツ:
■ 商品説明
心躍る、南島の歌声。沖縄音楽をベースに世界中の音楽をミックス。4人のコザ美童たちの涼やかな声の向こうに、オキナワ~ジインドネシア~ジャマイカ、カリブの島影がよぎる。記念すべきディスク・アカバナー〈ポップアカバナー〉シリーズ第一弾。 「オキナワポップ」ブームの呼び水となったファーストにしてベストの呼び声高い不朽の名盤。ここからすべてがはじまった。知名定男プロデュース
■ 商品仕様
製品名 | IKAWU / ネーネーズ |
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型番 | APCD-1001 |
JANコード | 4571258153016 |
メーカー | ディスクアカバナー |
製造年 | 1991年 |
MEMO ディスクアカバナー 2018
ディスクアカバナーはプレオフノート、沖縄音楽専門レーベルだがその名が示す通り、節目節目に咲く花のような運動体だ。第一期は1991~92年のおよそ2年間。島うたの正嫡・知名定男を中心に据え、戦後世代に属する唄者の結集を目論んだ。当時は嘉手苅林昌も登川誠仁も照屋林助も健在だっただろう。自らの過酷な戦争体験を経て戦後島うたの確固たる礎を築いた島うたの巨人たちのことなら、叛骨のルポライター・竹中労が十全に紹介している。いまさらそこに一体、何を付け加えることができよう。オレたちは竹中労が焔のような集中力と熱量で為遂げたトータルな島うた〝理会〟から出立して、さらに遠くへ島うた、風と水の呂律を運ばねばならぬ。「竹中労のできなかったことをやる」というのが当時の気概だったけれども、それよりは途中で何もかも抛り出して遁げ去った不肖の弟子が抱く慚愧の念がより強かったのである。とまれ、間に合った。竹中労が逝く二ヶ月程前、わたしたちがはじめて制作した『IKAWU / ネーネーズ』『島うた / 知名定男』の二枚を末期の病床に臥す恩人の枕元に届けることができたのだから。わが南島謡人・大工哲弘との邂逅もまた、「竹中労別れの音楽会」前夜の浅草だった。いま、わたしは確信できる。そうだ、わたしたちが気付こうと気付くまいと、また、望むと望むまいと、あの頃すでに「島うた」の珠と玉、星と星を繋ぐ糸は強く結ばれ繋がれていたのだ、と。
それからおよそ5年の時を経て97年、ふたたび「アカバナー」咲く。その時点で知名定男との恊働は終っていたし、第一期・ディスクアカバナーの挫折と反省を総括するカタチで「オフノート」が94年に始まっていただろう。それでもディスクアカバナーの活動に固執したのは沖縄島うたへの未練というよりは、生涯の友とも恃む友人二人との出会いを果せたからにほかならぬ。桜沢有理(B/Cレコード主宰)と上地一也(ライブハウス groove オーナー)、この二人がわたしの両腕となり、両脚となってさらなる「島うた」の深みへとわたしを連れ出してくれたのである。この第二期アカバナーで最も印象深かったのは山里勇吉・大工哲弘・大島保勝の八重山歌謡の依鉢を継ぐ三世代をブリッジし「アカバナー」の旗の下に結集できたことである。それぞれ二周り、祖父と父と子ほども齢の異なる三人の唄者の間を幾度も往復して疲弊もしたが得るものも大きかっただろう。いまでもわたしの胸中には仲間と共に奔走した労苦の数々が佳き思い出となって走馬灯のように蘇っては駆け廻る。
さて、2018年現在。八重山謡の巨星・山里勇吉師が逝去し、大島保勝が永いインターバルを余儀なくされているいま、大工哲弘一人孤塁を守る。これからの島うたの転回はこの不世出の謡人を軸に廻り、編成されていくにちがいない。それが島うた運動の現在をめぐる客観的情勢である。そして、わたしたちの次なる任務は、さらにもういっぺん、いや何度でも、時代と世代を繋ぐ島うた運動戦線を再編成し、同時代音楽の発信基地を再構築することにあるのだとおもっている。
2018.3.2 神谷一義(ディスクアカバナー)
MEMO IKAWU 2018
1991年にリリースされた本作はぼくが今日まで曲がりなりにも音楽制作に携わるきっかけをつくってくれた作品だ。いまも似たようなものだけれど、当時のぼくは正真正銘ズブの素人だったのだから。いまふりかえってみても音楽監督・佐原一哉さんはじめ、たくさんのプロフェッショナルたちが素人のぼくらに惜しまず力を貸してくれたことにまず驚くし、それにもまして感謝の念は尽きない。それも偏にネーネーズの「声」の魔法が人の心を瞬時に惹きつけ慰藉し虜にしてやまなかったからではないかとおもう。
ネーネーズ結成前の1988年暮、知名定男(本作プロデューサー)さんに紹介されて古謝美佐子さんの歌声にはじめて接したときの痺れるような感動と昂奮はいまでも忘れられない。むろん、沖縄を代表する女流歌人として大輪の花を見事に咲かせ切った現在の姿は予想だにしていなかったけれども、「大器」の片鱗はすでにこのときから漂わせていたのだ。早速その夜の内に古謝美佐子を中心とした島うた女声コーラスグループ結成の話がまとまったのだから、そのインパクトの甚大さたるや計り知れないものがあったと言っていい。
それからというもの、素人集団のぼくたちは何もわからぬまま「音楽制作」という未知の領域に闇雲に突っ込み、ひたすら悪戦苦闘を繰り返していったのである。さまざまな紆余曲折を経て、古謝美佐子を中心に、宮里康子、宮里奈美子、比屋根幸乃、4人のオリジナルメンバーが固まり、揃ってスタジオ入りできたときは真底ホッとしたし、心底うれしかった。4人が並んでマイクの前に立ってアカペラで歌い出した瞬間、俄に魂は震え出し不覚にも涙がこぼれ落ちた。古謝美佐子一人の声も感動的だったけれども、それをも凌駕する大きな感動が五体をまるごと包んだ。声量も声質も異なる4つの声の凸凹が重なったときのエクスタシー。この声の重畳こそ、南島の風と空と海を包括する宇宙の「ざわめき」であり、祖から子へつたえられた記憶を喚起する物語装置であり、森羅万象が渾然一体となった霊肉の複合体なのである。同時にそれは「未来圏から吹いて来る透明な清潔な風」でもある。そう、ネーネーズは4つの歌声をひとつに聴かせることで、急速に喪おうとしているオキナワの「元姿」初原の風景を不可避の時間の流れのなかからかろうじて救い出してくれたのではなかったか。リリースから四半世紀あまりを経たいまも、本作はけっして古びない。なぜなら、本作を貫くものが「祖たちの声」であり「未来からの風」だからなのである。 2018.8.17