二人の音楽家がかたどるこの世のものならざる不思議な形象。
現世と異界のあわいを自由に彷徨う妖しい音楽、鬼気迫る。
初回限定ボーナスDVD付 竹中英太郎 ジャケット画
原田依幸とトリスタン・ホンジンガー。本作は二人の異質の音楽家による即興演奏をCDとDVDに収録した二枚組アルバム。「即興演奏」というと兎角、むずかしく考えたり、独り善がりの退屈なものを想像しがちだが豈図らんや。二人の演奏はわたしたちの思いこみをかるく裏切ってくれる。そう、大層「面白い」即興演奏なのだ。
二人は即興演奏を方法的媒介にしてジャズからクラシック音楽と自らの身体に降り積もった音を提示、「記憶」のさらなる奥墳へと遡行しながら、これからあらわれるだろう未来の音楽をも同時に予兆するという瞬間の離れ業をいとも容易くやってのける。まさに即興音楽の醍醐味がここにある。
天界と魔界を瞬時に交通する創造の翅。音楽に込められた異界からのメッッセージ。この音楽は第一級の音楽家しかあらわすことができない厚みと深みがある。音楽は聴き手の五官の中で絶えず集合と分離を繰り返しくりかえして千変万化の態様を示しつづける。ゆえに繰り返し聴いてもけっして飽きることがないのだ。二人のマージナルマン、イマジネィティブな音の結晶を聴覚(CD)と視覚(DVD)、五感、さらに第六感をも総動員して存分に堪能してほしい。
なお、ジャケットを飾る闇を凝視する少女の画は1920~30年代、夢野久作や江戸川乱歩作品の挿絵を描き、夢幻を形象するあやかしの作風で一世風靡したまぼろしの画家、竹中英太郎の絵筆によるもの。2007年作品
Disc1 Here [CD]
1.Everywhere 18:20
2.Nowhere 17:15
Disc2 There [DVD]
1.Erehwyreve
2.Erehwon
原田依幸 ピアノ
トリスタン・ホンジンガー チェロ
[試聴]
1.Everywhere
■ 商品説明
即興演奏を方法的媒介にして身体に降り積もった音の「記憶」のさらなる奥墳へと遡行しながらこれからあらわれるだろう未来の音楽を予兆する瞬間の離れ業。音楽は聴き手の五官の中で絶えず集合と分離を繰り返しくりかえして千変万化の態様を示しつづける。二人のマージナルマン、イマジネィティブな音の結晶を聴覚(CD)と視覚(DVD)、五官とさらに第六感を総動員して存分に堪能されたし。
■ 商品仕様
製品名 | マージナル / 原田依幸 トリスタン・ホンジンガー |
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型番 | on-61 |
JANコード | 4571258150619 |
メーカー | オフノート |
製造年 | 2007年 |
MEMO マージナル 2018
天才・原田依幸との恊働はオフノート発足以来、「予納」されたものだったが、最初の10数年は断続的なものだっただろう。原田依幸の音楽の歩みとオフノートの活動がようやくシンクロして歩調を合わせることができるようになったのが2007年であり、本作(と同時発売の『HOMURA』)はその嚆矢となった。いま振り返っても、2007年はめまぐるしい一年だった。異界のメッセンジャー・トリスタン・ホンジンガーとの再会。韓国の前衛音楽シーンを領導する二人の音楽家・崔善培、アルフレート・ハルトと出会った「3.1 独立記念日」。そして、「十月、黄昏の国から音楽の怪物達がやってくる!」、ヘンリー・グライムス(アメリカ)、ルイス・モホロ(南アフリカ)、トビアス・ディリアス(イギリス)、トリスタン・ホンジンガー(イタリア)、世界から超弩級のインプロヴァイザーたちを迎えて行われた『Inter Improvisation Music Festival 2007 KAIBUTSU LIVES!』(東京・甲府・名古屋・京都・ソウル公演)。そう、変幻自在に転回し転回する原田依幸ピアノ永久運動と同期するようにわたしたちは行動したのである。このあとの原田依幸とわたしたちの恊働の軌跡は本作を含め4枚のアルバムに記録されたが、「KAIBUTSU LIVES!」の全容、ルイスモホロとのDUO等、未だに発表されていない「オフノート」も数多く存する。時機が熟せばきっと、これらの「オフノート」は丹念に埋められてゆくだろう。そして、原田依幸とわたしたちの恊働はさらにつづくのだ…。(2018.1.20)
MEMO マージナル 2018 -2
本作は二人の「マージナルマン」による魂の交感の記録である。
まず、原田依幸は異界のピアニストである。
ピアノという西洋の粋を集めた平均律の権化のようなこの楽器を自由自在に操り、そこから電光石火の早業で異郷の旋律を探し出してくる。じっさいに原田がピアノを演奏している姿を見たものなら、この天才が正気と狂気の線上を行きつ戻りつしながら、夢と現の間をめまぐるしく彷徨いつづけている在りようを現認しているはずだ。原田にとってピアノという楽器は他界の電波をキャッチする受像器であり、異界と交信する「魔法陣」の役割を果たしているのではないかとおもえる。今日も原田の異界チャンネルは森羅万象が千変万化するニュース速報や魑魅魍魎どもが跳梁跋扈する魔界転生のドラマを映し出す。わたしたちはただその音の象りを茫然と見つめるしかない。
一方、トリスタンホンジンガーもまた、異界のチェリストである。
じっさいにわたしはトリスタン自身の口から幼少時に体験した森でのキツネやウサギに囲まれて交感したハナシを聞いたことがある。自分を見て立ち止まったウサギの目がクルクル変わってゆくさまが可笑しく、じっと見つめていたら吸い込まれそうになったこと、それが自分が即興音楽を志す原点になったことを明かしてくれた。また、トリスタンが生まれた米ヴァーモント州はフォークロアの宝庫でもあったというから、祖たちから伝承されたバラッドのなかからも異界からのメッセージを受け取っていたのかと想像するのはたのしい。幼い頃から正規のクラシック教育を受け「バッハ漬け」だったトリスタンが、「おれはフォークミュージシャンだ」と言って憚らないのはこの原体験からきているのかもしれない。そう、トリスタンが奏でる旋律は聖と俗をひっきりなしに往来するのである。また、10代のときに誘われるように国境を越えてしまったこともキツネやウサギが仕掛けた魔法!無意識のなかに刷り込まれていた入眠作用のなせる業かとおもえるのである(そこに徴兵という切実な現実が横たわっていたとしても)。そんなふうにして国境を越えて、ヨーロッパ各地をチェロ一挺提げて、来る日も来る日も街頭に立ちながら放浪しつづけたトリスタンホンジンガーはボヘミアンの風格とメッセンジャーとして霊力をしたたかに身につけていったのである。
そして二人の異界人は境界線上で出会った。
以下、本作の惹句。
即興演奏を方法的媒介にして身体に降り積もった音の「記憶」のさらなる奥墳へと遡行しながらこれからあらわれるだろう未来の音楽を予兆する瞬間の離れ業。音楽は聴き手の五官の中で絶えず集合と分離をく繰り返しくりかえして千変万化の態様を示しつづける。二人のマージナルマン、イマジネィティブな音の結晶を聴覚(CD)と視覚(DVD)、五官とさらに第六感を総動員して存分に堪能されたし。
原田依幸とトリスタンホンジンガー。この二人の出会いは必然であったのだ。このふたりのマージナルマンが繰り広げた交感の態様は上記に掲げる惹句よりほかに言葉をもたない。あとはじっさいに聴いていただくしかないだろう。
MEMOの最後に。ジャケットを飾る虚空を睨み据える「少女像」について一言だけ。この画を描いた人は昭和初年、幻怪妖美の作風で一世風靡したまぼろしの画家・竹中英太郎である。英太郎は夢野久作、江戸川乱歩、横溝正史らの怪奇探偵小説に挿絵を描き、時代の潮流のなかで「エロ・グロ・ナンセンス」に傾斜しようとする大衆のルサンチマンに夢まぼろしの形象を投じた。その時代の表象ともいうべき「竹中英太郎の世界」をわが「魔界音楽」の入口にできたのは、偏に英太郎愛娘・竹中紫(湯村の杜竹中英太郎記念館・館長)さんのご厚意による。ちなみに叛骨のルポライター・竹中労は英太郎の息で紫さんの兄。 2018.8.21