GLOBE IN THE BOTTLE -AMERICAN GLOBAL STANDARDS
方法悪としてのアメリカ。
アメリカ〈毒〉を以てアメリカ〈毒〉を制す。
アメリカを透かして世界をみる。
2003年3月、アメリカのイラク侵攻の様子をつたえたテレビ報道に接したときに構想された。「アメリカの内側に培われてきたプロテストソングやメッセージソング、草の根民衆の歌声をもって「アメリカ」を撃つこと。「唄に、音楽に一体何ができるもか」という時代と世界がわたしたちに突きつけた鋭い問いかけに対するひとつの拙い回答であり、アメリカが推進する世界画一化戦略「グローバルスタンダード」「グロバリゼーション」に「混民族としてのアメリカ」、草の根に息づく「フォークロアの多様性」を対置させてその仮装を暴き乗り越えようとするささやかな実験でもあった。フォークパルチザンという命名にはわたしたちは一人ひとりが花を武器に離合と集散を重ねながらしたたかにしなやかに闘う一兵士であらねばならない、という持続の意志が込められている。このアルバムは2003年、危機を契機に変えるべく世代を超えて結集した音楽家たちが夢見た未来記である。 2003年作品
disc1 american grobal standards
1 勝利を我らに -instrumental(中尾勘二・関島岳郎・船戸博史)
2 小川のほとり(ひがしのひとし)
3 この足の鎖(宮里ひろし)
4 くらしはだんだんつらくなり(藤村直樹)
5 朝日楼(上野茂都)
6 アイ シャル ビー リリースト(オクノ修)
7 ポートランド タウン(藤村)
8 学校で何を習ったの(ひがしの・宮薗あき子)
9 もう戦争には行かない(中川五郎)
10 虹の民(古川豪)
11 すごくへんな夢(宮里・田中亜矢)
12 明日なき世界(オクノ)
13 ティーチ ユア チルドレン(田中)
14 腰まで泥まみれ(中川五郎)
15 絶望と希望(古川)
16 神が味方(オクノ)
17 戦争の親玉(渡辺勝)
18 シーベック シーモア -inst (船戸)
19 ハレルヤ(イマイアキノブ)
20 友よ -inst(川下直広)
disc2 song of partisan
1 花はどこへ行った-inst(関島)
2 鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察(ひがしの)
3 イムジン河(森美千代・田中・宮薗)
4 思い出しておくれ(藤村)
5 グッバイ フレンド(中川)
6 リリー マルレーン(田中)
7 大砲のうた -inst(中尾)
8 しゃれこうべと大砲(岩井信幸・宮薗・田中・渡辺・イマイ)
9 アメイジング グレイス(田中・森・宮薗)
10 平和に生きる権利 -inst (渡辺)
11 ドナドナ(ひがしの・田中・岩井信幸・森・宮薗)
12 拝啓大統領殿(森・オクノ)
13 500マイル(森・田中・オクノ)
14 今日は帰れない -パルチザンの唄(田中)
15 さらば恋人よ -イタリア パルチザンの唄(岩井・渡辺・イマイ・桑畑繭太郎)
16 パルチザン(渡辺)
17 鳥の歌 -inst(関島)
フォーク パルチザン :
イマイアキノブ / 岩井信幸 /上野茂都 / オクノ修 / 田中亜矢 / 中川五郎 / ひがしのひとし /
藤村直樹 / 古川豪 / 宮里ひろし / 宮薗あき子 / 森美千代 / 川下直広 / 桑畑繭太郎 /
関島岳郎 / 関根真理 / 中尾勘二 / 船戸博史 / ブービーあさの / 渡辺勝
Produced by 神谷一義 (off note), 渡辺勝 & ソング リサイクル実行委員会
[試聴]
disc-1-13 ティーチ ユア チルドレン
disc2-1 花はどこへ行った
■ 商品説明
方法悪としてのアメリカ。アメリカ〈毒〉を以てアメリカ〈毒〉を制す。アメリカを透かして世界をみる。2003年3月、アメリカのイラク侵攻を契機に制作された2枚組反戦歌/音楽集。アメリカの内側に培われてきたプロテストソングやメッセージソング、草の根民衆の多様な歌声をもって「アメリカ」を撃つこと。花を武器にしてアメリカ「世界画一化」戦略に断固「NO!」を突きつける。
■ 商品仕様
製品名 | 瓶のなかの球体 / フォーク パルチザン |
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型番 | on-45 |
JANコード | 4571258150459 |
メーカー | オフノート |
製造年 | 2003年 |
MEMO 瓶のなかの球体 2018
うーむ。2003年制作だから今年で15年になるのか。その間に本作関係者が三人も物故しているのは時の流れの烈しさを物語っているようだ。本作のことなら下記紹介文をご一読くださればいい。いまも考えはまったく変わらない。ただひとつだけ、不思議なこととして思い出されるのが本作の成り立ちだ。あのころ、ぼくたちは日々いかに「音楽を生活する」かにかまけていて政治的なことなどまるで眼中になかったはずだ。そんなときだ、アメリカがイラクで戦争をおっぱじめたのは。ツアーをしていたぼくたちは宿泊先ロビーのTVでこれからまさに起ころうとする開戦前の静かな光景をただひたすら食い入るように見つめてただろう。だが、誰もその場で自らの意見や感想を述べたりはしなかった。にもかかわらず、ぼくたちは無言でその翌日から本作の制作に取りかかったたのである。これはとうぜん、ぼくたちがいまなすべきことなのだと固く信じて疑わなかった。その後もぼくたちは変わらず淡々と作業に没頭した、来る日も来る日も。そして、本作はなった。その間にぼくが確認したことは、ごくありふれた生活者の内奥に兵士の魂が厳然と宿っているという至極当たり前のこと、生活者即兵士というまぎれもない事実だ。人は自身の護るべきものを来り侵されたとき、武器(楽器でもペンでもカメラでもその属性に合わせて個別自由に)を取って命懸けで闘うのである。自分のために、愛するもののために。「五分の虫にも一寸の魂」(竹中労)畢竟、魂一つ、身ひとつなのだ、きっと。「そう、いつだって いますぐに 用意はできてる」(アイシャルビーリリースト・いとうたかおのうたえる)2018.1.13